北海道ツーリング 1998年7月~8月

ツーリングレポート

長年勤めた仕事をやめて、最初で最後のロングツーリング・・・
のつもりで旅に出たのは、1998年のこと。
あの時は、本当に多分最初で最後だと思っていたのです。
今と比べるとずいぶんと、違うスタイルの旅をしていたなぁと思います。
やっぱり、旅が長くなると、節約旅になりますからね。(笑)

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7月17日(金)~18日(土)出発からのアクシデント!・・・これってラッキ?アンラッキー?

PM4:30、いよいよ出発!出発までの暇つぶしに「積載総重量はどのくらいだろう?」と測ってみたところ、33キロ。
私の体重は40+αキロ・・・体重の2/3以上の重量・・・。はぁ~、ちと、多すぎたかなぁ。
まぁ、いいや。なんとかなるだろう!

管理人
↑今の積載量を考えると可愛いもんですね~( ^)o(^ )

さて、失業中の身には無駄使いは禁物。
高速なんか乗ってらんないよ。
R173を市街地を抜け、トンネルを出て、突然開けた直線で前の車をパスしたところ、赤いサイレンが廻った!通行区分違反で2点、罰金7000円なり。
こんなことなら高速に乗っときゃよかった。
・・・ところがなんと!私の免許は前日の7/16でようやく満点。
あと18時間早かったら、いきなり免停!だったのだ。これってついてるの?かな。


舞鶴には7:00に着いた。
駐車場では既に宴会が始まっており、知らないうちに私も参加していた。
山口ナンバーのカオリンと女性専用禁煙ルームに入室。さすがに夏休みが始まっているだけあって、お盆ほどにはないにしろ、満室状態。「女性専用ルーム」に何故かアベックの片割れの男がいる!あかんのんちゃうのん?
早速入浴をすませ、すっぴん顔で先ほどの宴会連中の座へ缶ビール片手になだれ込む。
「ニフティ」の会議室で知り合った管ちゃんとは、実は以前某バイク雑誌主催のツーリングでお茶を飲んだこともあったり、その彼と宴会主催者が知り合いだったらしく、世の中は狭いものと関心。
数年前に「ラベンダー」号に乗り合わせた連中で毎年合流しているというこのチームに、ソロ参加のカオリンや熊っち、岡本君(本名は岡本ではない、ナイナイの岡本君に似てるので命名)、村山君、テツヤ君などが合流して2フロアを占領。
隅の方で1人静かな京都のニンジャ氏の持参のバーボンが気になり、仲間に引きづり込んだのは私と熊っちの陰謀であった。

管理人
すっかり体系の変わった彼に某ライダーハウスで再開したのは驚きました!

h2-sennnai1遅くまで飲んでいたというのに、6:30にはすっかり目が覚めてしまって、プロムナードデッキで地図を眺めていたら、新婚旅行のライダーカップルと話が弾み、遠慮したのだが、爆弾のような大きなお手製のおにぎりと、コロッケをもらった。
ゆくゆくは北海道で宿をやりたいという彼らは、今回は下見ツーリングだとかで、某雑誌に紹介されていた上富良野のなんとかという宿を訪ねるらしい。(後日彼らは渡道し、上富良野にPというライダーハウスを始めた。←今はありません)
ぼちぼち皆起きだしたようで、船内を散歩したり、卓球をしたり、夕方からは10円レートの賭けトランプであっという間に時間が過ぎた。

7月19日(日)再会!

AM4:00小樽港到着。
すぐのコンビニで皆と記念撮影。それぞれにあちこちに散らばっていく。
北に向かうライダーは多く、一本道なので抜いたり、抜かされたりで、ふとバックミラーを見ると、見覚えのある黄色いZZRとそれに連なる数台。最初の道の駅に止ったら、熊っち以下10円賭けトランプチームである。
結局、熊ッち、岡村、村山、ニンジャ氏とともに稚内に向かうことになった。
利尻富士を見ながらオロロンラインを北上し、途中ニンジャ氏の提案で横道に入り、クッチャロ湖まで抜け、お勧めのAコープで、ウニとご飯を買いこみ、遅い昼食をウニ丼を食べる。これが馬糞ウニか。あま~い!おいし~い!しあわせ!

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AM4:00小樽港到着。
今度は右手にオホーツク海を見ながら宗谷岬に到着。
このとき、オホーツク海側では気温は13℃だったが、日本海に入ったとたん、21℃になり、風の冷たさもなくなった。
今日はヤナセに泊まるといっていたカオリンとすれ違うが、後から聞くと反対方向から走ってくる私達が不思議だったらしい。
今日の泊まりは稚内森林公園キャンプ場。
駐車場からサイトまで階段を登るのが難点かな?あとは、途中に墓場の横を通るので暗くなってからサイトにもどるのはちょっと不気味・・・なのが難点。でも無料だし、きれいだし、眺めもいいしなかなかお気に入りのキャンプ場。

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h2-wakkanaikyannpujyouニンジャ氏はかなりの料理人で、あるとあらゆる調味料を駆使して、すべての料理は彼が作った。鶏のトマトソース煮込み、リゾットなど、女の私でも作ったことのない本格的料理。ワインとぴったりの料理に舌鼓。翌日、去っていく彼の姿をずっと観察していたら、なんと大きなバック1個がまるまる調理道具だった!


7月20日(月)稚内温泉

野郎ども3人を送りだして、失業組で先を急がない私と熊っちは連泊を決めこむ。
熊っちは昼までくつろいで釣りでも行くらしい。
「じゃあ、夕方に稚内温泉に行こう」と約束して、サロベツ原野を廻ることにした。
あちこちに展望台があって、どこに行ったらよいものか・・・。
宮の台展望台からは、晴れていれば、利尻富士が見え、なかなかの景観のようであるがあいにく今日は雲に覆われて何も見えない。
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花の時期も終ってしまったのか、荒涼としたたたたづまいである。
うろうろと走りまわって、明日乗船する礼文行きのフェリー乗り場を下見して、丁度昼どきだったので、波止場前のラーメン屋に飛びこんだところ、待てど暮らせど、オーダーも聞きにきてくれず、すごすごと引き上げた。
う~~「カニラーメン」と心は決まっていたのに!
さすが最北、稚内温泉「童夢」はサロベツ原野のど真ん中にあり、露天風呂に入ると、吐く息も白く、頭は冷気にさらされて、身体はほかほか、いつまででも入ってられそう!すぐ近くノサップ岬ですばらしい夕陽を見る予定であったが、あいにくの天気でまたしてもはずれ!

7月21日(火)いよいよ礼文島へ

h2-momoiwa17:30の2便で礼文へ渡る。輸送費が高くつくので、バイクと荷物は乗り場前の駐車場に預けた。
観光バスが乗ったものだから船内は大混雑。
香深港では今日の宿「星観荘」の迎えの人に荷物を預け、予定がなければ一緒に行ったら?という勧めに訳もわからず、常連だという美恵さんについて、桃岩~香深へ抜ける3時間のトレッキングコースを歩くことになった。

礼文島にはとにかく「愛とロマンの8時間コース」を歩く為に着たような次第で、ここが、「花の島」でトレキングコースが幾つもあるなんてこと知るはずもなく、思わぬ展開に驚いたが、明日の8時間の足慣らしには丁度いいだろうと覚悟して歩き出す。
美恵さんは毎年礼文に来て歩いているらしく、時々立ち止まって花の名前を教えてくれたり、また、小雨がちだったのに、風でガスが流れて、ときたま利尻富士が顔を出したりで、楽しく歩くことができた。

h2-seikannsoumenyu香深まで戻ると丁度昼どきで名物「ほっけのちゃんちゃん焼き」を食べた。
半身の魚に野菜と味噌を乗っけて焼くちゃんちゃん焼きはたいていは鮭なのだが、礼文島ではほっけなのだそうだ。

星観荘は普通の民家のような体裁であったが、料理は7品もあり、味もボリュームも満点、少しだがカニもウニもでた。今日8時間コースに挑戦したメンバーは7名で、皆真っ黒に日焼けして美味しそうにビールを空けている。
天気予報と検討した結果、明日の8時間コースは東京医大生、テツと2人で出発することになった。

7月22日(水)愛とロマンの8時間?

h2-syuppatunoasa11いよいよ「逆8時間(噂の桃岩YHの逆走コース)コース」に出発。

大げさな見送りを受け、林道入り口まで車で送ってもらって歩き出す。
途中まで宇遠内コースの美恵さんと一緒なのが心強い。

一の関門「砂走り」は本当に砂が滑って歩きにくい。
昼食は澄海岬のある西上泊。
本当は美恵さんはここまでの予定だったのだが、ついでに行ってみようか、ということになり、結局は3人で8時間コースを歩くことになる。

h2-sukaimisaki「え~あそこまで行くの?~?」というくらい向こうにゴロタ岬が見える。
でも、曇りがちだった空が晴れると、嬉しくなって、スカイブルーの空と、エメラルドグリーンの海に励まされながら、歩く、歩く、歩く。

h2-rebunntizuPM5:30、スコトン岬到着。9時間ちょっとかかったことになる。
どこがよかったと、言われてもわからない。ただあるのは充実感。やればできるんだ、という思いを新たにする。

7月23日(木)カニ三昧

宿の人達に港で見送ってもらって、朝の一便で稚内へ戻る。
隣のスペースでは噂の桃岩YHの見送り音頭が始まっていた。後ろで恥ずかしそうにしているのは多分昨泊まったばかりの連中だろう。まだ、北海道上陸間のない私には濃い過ぎる・・・。

h2-senncyounoienoyuusyoku稚内から再び宗谷岬を過ぎ、オホーツクラインに入る。
嫌になるくらいまっすぐで何もなく、寒いし、眠いし、苦痛としかいいようがない。
今日はサロマ湖の「船長の家」を予約してある。
サロマ湖に入ったとたん、雨が降り出し、「すぐだからいいや」とカッパを着なかったのだが、サロマ湖は思ったよりも長細い湖で、かれこれ1時間近く走っただろうか?宿に着いた頃には濡れ鼠状態。ちょうど風呂が空いていたからよかったようなものの、ここの風呂は男女別定員1名なので最悪である。洗濯機も順番待ち。
でも噂どおりカニの量は半端じゃなかったのでよしとしよう。
余談だが、この年この後にここでは食中毒を出して、しばらく営業停止となり、利用できなかったライダーも多かったようだ。

管理人
船長の家は今では、建物も料理の内容もずいぶん変わりました。もうあまりライダー向きではないのかも?

 

 

7月24日(金)今日は移動日

午後からは雨、ということなので、今日は移動だけにしよう。とりあえず雨風のしのげるところ、というわけでまだ新しい「比布ぶんぶんハウス」は無料で設備抜群のライダーハウス。
昨夜「船長の家」で同室だったエストレア穣は先に到着していて、ツアコンだというエリミ穣と話し込んでいる。
近くに銭湯があるらしいのだが、今日は定休日ということで、コインシャワーを使い、ドライヤーを使っているとブレーカーが落ちてしまい、管理人を呼び出す騒ぎとなってしまった。(現在「ドライヤーの使用禁止」とある張り紙の原因の張本人は私かも?)
3人で近くの食堂で生ビールと野菜たっぷりの味噌ラーメンで夕食をすませ、コンビニでワイン、焼酎などを買いこみハウスに戻る。さすがに有名なだけに男部屋は人口密度がかなり高そうだが、女部屋はゆったり使えるので得した気分。外で自炊するのも可能。雨の日に逃げ込むには最適。

7月25日(土) またもや再会、再会

空模様が怪しいので早々に出発することにする。
走り出したとたん、雨。こりているので早めにカッパを着こむが、あっという間に雨は強くなり、雷が鳴り響き、道路は滝のように雨が流れる。覚悟を決めて走り出すが、局地的な雨だったようで、上富良野の日の出公園キャンプ場に着いた頃には青空が見え隠れしてきた。

フェリーの中で「富良野のへそ祭りで会えたらいいね」と話してたこともあり、数日はここをベースに滞在するつもりだ。

9:00を過ぎているというのに、のんびり、まだ起きだしたばかりのキャンパーも多く、空いているサイトに設営して、この2日間を取り戻すべく、身軽になって走り出す。

かなやま湖を一周して夕方に戻ってくると、見なれた黄色いZX-11が停まっており、熊っちと再会。
ちょうど立ち話をしていると、今度はピンクのCB750F、テツヤ君が走ってくるのが見えた。彼は熊っちのとなりにテントを張り、3人で一緒に夕食をとる。

稚内で別れたときはクッカー、ロールマット、椅子とキャンパーの3種の神器を持たないなめた装備の熊っちだったが、大きめのクッカーなど装備を充実させていた。
早速そのうちのひとつのフライパンで餃子を焼く。
彼はファミキャン用の大きなクッカーでレトルトではないカレーに挑戦している。こうして、しばらくは彼の大きな鍋とフライパンの恩恵にあずかることとなったのはいうまでもない。
ちなみにさらに隣のテントの兄ちゃんとやけに話が合うな、と思っていたら、前日のライダーハウスで一緒で出発前にメット越しに挨拶した兄ちゃんたちだった。

7月26日(日)

久々の朝からの晴れ模様に、気を良くして早速、出発。まずは中富良野で洗車して、美瑛の丘を走り回る。

美瑛は地図を頼りに走ってみても枝道が多く、のんびり迷ってみるのもいいかな。

一日中走り廻り、キャンプ場に戻ると、フェリーで一緒だったカオリンがいた。確かにへそ祭りの頃に日の出にいるよ、と言っていたけれど、約束したわけでもなかったので、昨日からの再会の嵐に驚くばかりである。

7月27日(月) 旭岳

久々の朝からの晴れ模様に、気を良くして早速、出発。

まずは中富良野で洗車して、美瑛の丘を走り回る。

美瑛は地図を頼りに走ってみても枝道が多く、のんびり迷ってみるのもいいかな。一日中走り廻り、キャンプ場に戻ると、フェリーで一緒だったカオリンがいた。
確かにへそ祭りの頃に日の出にいるよ、と言っていたけれど、約束したわけでもなかったので、昨日からの再会の嵐に驚くばかりである。

7月28日(火)北海へそ祭は朝から雨

h2-hesomaturi1雨音で目覚める。連泊組で炊事場を陣取り、食べては盛りあがり、疲れては寝るの繰り返し。

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6:00になってようやくへそ祭り開催が決定したので、皆で富良野へ繰り出す。富良野駅周辺はバイクで一杯、駐車も困難な状態。噂の鳥沼チームの行列は、へそ踊りというよりも、ただ、だらだら歩いてるだけで、疲れているんだろうけどライダー代表くらいのつもりでもっと頑張って欲しいなぁ。

7月29日(水)

熊っちと層雲峡をを目指す。

途中やけにしつこいピースサインを送る奴がいるなぁと思ったら、ここ2~3日一緒にご飯を食べている神戸のニンジャ氏で、気がついたらUターンして、後ろに着けていた。
彼は30分前に登ったという、流星の滝滝見台にもう一度文句を言いながら登り、三国峠経由で一緒に帰ることになった。これがまた快適なワインディング。

紅葉の時期なら峠の茶屋からの眺めもすばらしいものだろうなぁ。
へそ祭りが終わり、キャンプ場もすっかり人が減って、カオリンと、道東から帰ってきたテツヤ君とで今夜の夕食は5名。小さいながらも鍋で暖かくいただく。

7月30日(木)今度は美深ライダー祭りへ

へそ祭りも終わり、しばらく一緒だったメンバーに「じゃあね。またどこかで」と別れを告げ、タイヤ交換のため富良野の藤田サイクルに直行するが、昨日までのへそ祭りの為の交通規制で迷いに迷って、ようやく到着したと思ったら、既に先客がいて、時間がかかりそうなので、あきらめて美深へ向かう。

塩狩峠の手前で休憩しようとパーキングに停まったところ、「じゃあね」と別れたメンバー6名に早速再会。
皆、8/1のライダー祭りを目指して美深へ移動中である。
昼過ぎには森林公園キャンプ場に到着。

ニンジャ氏と「走り足りない!」と50キロほどのツーリング。道の駅スタンプラリーをやっている私にはお手ごろに3つのスタンプをゲットして心地よい疲れ、目の前の美深温泉で疲れを癒す。

7月31日(金)ライダー祭り前夜祭

実は1日、日にちを勘違いしていた。

7月は30日で終わりと何故かしら漠然と思っていたのである。
だから今日は私にとってはおまけの日、早速タイヤ交換のため富良野へ向かうが、1日オフと思うと、悠々遠回りして帰ろうと、北竜町のひまわり畑経由で帰ることにした。
ひまわり畑は今が最盛期で、気持ちのいいくらい、ひまわりがこっちに向いて咲いている。朱鞠内湖をかすめる国道275号線も、最高のワインディングロードで、あっという間に美深に着いた。ひえ~タイヤ交換に往復400キロだ!

比布、日の出で一緒だった前橋氏もやってきて、皆で鍋をやろうということになり、ホタテや肉などたっぷり入った鍋が一人500円ほどで完成、明日の祭りの前夜祭で、焼酎も振舞われ、焚き火を囲んで遅くまで語らう。

8月1日(土)酔っ払っちゃった!

昨日寝たのはam1:00過ぎだったと思う。

それなのに4:30には起きだし、朝釣りに出かける熊っちについて初めての釣り体験。
結局何も釣れず、夕方までの時間は美深温泉で過ごす。

6時から広場で祭りが始まり、焼酎を飲みながらライブを楽しむ。
辺りが暗くなった頃ようやく踊り出す連中も現れて、私も訳のわからないうちに「大魔王」にステージに担ぎ上げられ、いきなり動き出したものだから一気に酔いがまわり、途中からの記憶はまったく残っていない。

朝起きると何故か靴下が濡れていたり、サングラスがなくなっていたりもちろんどうしようもないくらいの二日酔いで、特に熊っちには迷惑を掛けてしまったようだ。(トイレまで負ぶって連れていってもらったらしい)

8月2日(日)

10:30にようやく撤収を終え出発。

今日は屈斜路まで行く事にする。
それにしては出発時間が遅れてしまったのが気がかりだ。

朝からお茶さえも飲んでは吐く始末で、お腹が空いて気分が悪いのに、何も食べられない。
ようやく見つけたのは「日本一のラーメン」という看板。よくよくみると何が日本一かというと、ここは上川町。
あのジャンプの原田君の出身地、ということで、「原田ラーメン」は「味:醤油のみ=失敗してもしおがない。具:チャーシューはありません=にくない男」という説明だった。

400キロほどをほとんど休憩なしで走り、ライダーハウス「蜂の家」に着いたのは6:00頃であった。さすがに今日はノンアルコールとする。

8月3日(月) おしょろこま

am5:45集合の川湯温泉観光協会主催の「つつじが原散策ツアー」に参加し、硫黄山まで3キロほどを歩く。
エゾイソツツジの見頃は7月半ば位までで、花が終わってしまっているのは残念。次はぜひ花の時期に来たいものだ。

和箏半島のパーキングで前橋氏に会う。
h2-kaiyoudaihenomiti昨日は蜂の家に行くと私よりも先に出発して行ったのに来ないので心配していたのだが、どうやら、途中でバイクが潰れて修理に手間取り、途中のバス停で野宿したと言う。

8/5~9の上士幌のバルーンフェスタで会おうと約束して別れた。

中標津方面へ向かうと、いたるところで「⇒開陽台」の標識が現れ、行くつもりはなかったのに気がついたら、あの真っ直ぐな道「道道北19号」を走っていた。
思ったとおり、たいして感動することもなく、やっぱり多和平の方がいい、と確認した次第である。

image311知床横断道路は斜里側から走ることにする。
国設羅臼キャンプ場には、案の定、熊っちが先着しており、強引に狭いスペースの隣にテントを張る。
前日から一緒だと言うマグナの兄ちゃんと3人で隣のファミキャンにもらったオショロコマを塩焼きにして食べる。

8月4日(火)根室半島

h2-todowaraそろそろ日程がきつくなってきたので、そうそう連泊もしていられない。今日は花咲きガニを食べに行くのだ。
野付半島では一瞬雨もやみ、トドワラまで往復1時間ほど歩く。ここまで来て、入り口だけで帰っていくライダーも多く、かつては私もその一人だった訳で、こんな不思議な光景を見ないで帰るなんでもったいないものだ。

走り出すとまた雨が激しくなり、カッパを脱いだり着たりで面倒なこと!

ようやく納沙布岬に到着、また、雨がやむ。ちょうどバイクを降りるたびにやんでくれるから、有難いといえばそうなのだが。

h2-inndeliannsamaカニラーメンという、そのまま花咲ガニが一匹入っているラーメンを食べる。「カニを取り皿にとって、先にラーメンを食べる」と食べ方を教えてもらって、心の中で「う~お腹一杯になってカニが食べきれないかも…」なんて思ったりしたがそれもとり越し苦労だった。

今日は根室のインディアンサマーカンパニーに泊る。ここは1000円以上の海産物を買うと花咲きガニが一匹夕食時に出てきて、ただで泊れるのだ。
私はお土産に10000円のタラバを買ったところ「2000円以上だと夕食のカニもただ」ということで得した気分。「安眠室」というのもあり、キャンプで早起きグセのついている私には有難かった。

8月5日(水)雨の移動日

h2-panncyouやはり一番起き。6:30には曇り空の中、カッパを来て出発した。山の中は雨。したがって、今回も霧多布と釧路湿原は諦めよう。
街中へ入ると雨もやみ、帯広でぱんちょうの豚丼を食べた。20分ほど並んだが、並ぶ価値は充分にある。ここのどんぶりは松竹梅が梅竹松となっている。何故かと言うと、オーナーが「梅さん」だかららしい。

六花亭のケーキも食べたかったけど一度には無理、ほかにもスィートポテトの美味しい店もあるとかで、一度ゆっくり探索してみるのもいいかも。

どこまで行こうかと空を眺めてはため息をつくばかり、どこへ行けば晴れているのだろう?

本当なら釧路湿原あたりでテントを張りたいものだが。道の駅でソフトを食べながら悩んでいると、またもや前橋氏に再会。
こりゃあもう上士幌しかないか、ということで走り始めると、またもや、どしゃぶり、今回始めての雨の中での設営となった。
同じように「バルーンフェルタで」と約束していた小島氏(名古屋、NSR)と、オフの兄ちゃんも既に到着しており、受付を済ませ落ち着くが、雨なので仕方なく、テントの中で息を潜めるばかりである。傘を忘れてきたのが痛い。テントの防水性も今一つ悩みの種である。

8月6日(木)雨の札幌

天気予報によるとこのまま週末まで天気は回復しないらしい。

バルーンも上がらない。
前橋氏も、それならいても仕方ない、と、いきなり撤収を始め、もう東京に帰るという。
峠で飛ばしすぎてこけ、、若干修理費がかかるということで懐が寂しいのだとか。
私も、滞在できるのはあ1週間ほどで、ニセコへ行っていないのが心残りで、ここでくすぶっている場合ではない。

札幌の知人に連絡が取れ、今日から泊めてもらうことにして、また今日もカッパを来て走り出すこととなった。
札幌は曇り、明日は快晴らしい。

8月7日(金)

今日は車で小樽を案内してもらう。積丹半島を半周して、ふるひら温泉で汗を流す。久々の天気に車で移動するのはもったいない気もするが、たまにはバイクを置いて歩いてみるものいいものだ。

8月8日(土) 予定変更

あと4日、どこかへベースを張って、ニセコを廻ろう。

本当は最後の一週間くらいで東北を廻りながら陸走するつもりだったのだが、まだまだ日にちが足りない!・・・というかやはり北海道は旅人に優しく、どうも道内を離れる気がしないのだ。

確かに東北も気になるのだが、どうも決心がつかない。
8月半ばのツーリングチームのイベント「九州ツーリングIN屋久島」に参加する為、帰宅しなくてはならず、後ろ髪を引かれる思いだ。
そして道南へ
洞爺湖では、毎日花火が上がるというので、行ってみるが、土曜のせいか、ファミキャンで大混雑。タープのロープが交差しているほど。ライダーの姿もあまりなく、連泊するには気が進まない。

クッタラ湖へ行ってみようかと走っていたところ、交差点で、日の出にいたSRの姉ちゃんが走り寄ってきた。
美深に来なかったのは、青森まで下ってねぶたで跳ねてきたかららしい。(数年後彼女は北海道ツーリングの途中でダンプと正面衝突し亡くなられました。冥福をお祈りします。)
キャンプ場ガイドを見せてもらって、倶知安旭が丘キャンプ場がいいかな、と思う。富良野へ向かう彼女と別れ、地球岬へ向かう。地球が丸く見えるというキャッチコピーのここも、天気が悪いと何も見えない!
キャンプ場へは暗くなる前に着いた。
目の前に羊蹄山を控え、街にも近いので買い物も便利で、住み心地はよさそうである。なんと言ってもスーパーでは卵をばら売りしているのがいい。早速、かに玉どんぶりを作った。
食事後は連泊組の兄ちゃんたちと酒盛りを始める。どうやら彼らは天候待ちで、山登りが目的らしい。

8月9日(日)久々の快晴!

パノラマラインを走り、神仙沼まで歩く。

早朝のせいか、うすぼんやりしていたが、岩内へ抜け、日本海が見える頃には快晴となる。
今回始めての抜けるような青空に、感激しながら、海沿いの道を走る。
そんなに距離を走るつもりはなかったのに、青空が嬉しく、島牧まで来てしまった。
「よってけ!島牧」ではセルフ式のバーベキューがあり、気がついたら、トレーを片手にレジに並んでいた。牛サガリ(=これを牛の危ない部分の肉と思いこんでいたのは私くらいだろうか?)、活ほたて貝、つくね、焼き野菜、ご飯で1082円。大勢なら色んなものがちょっとづつ食べれていいのにな。

h2-garounotaki「ドラゴンウォーター」というポスターを見ているうち、行きたくなってしまった。
賀老の滝は、道内では最大幅の滝らしい。
駐車場から滝までは下り521段の階段。
もちろん帰りはこれを登らなくてはならない。

思えば今回の北海道は、よく歩いている。
今までの私には考えられなかったこと。
歳をとったせいか「そこまで行けば何かすばらしいことがあるかもしれない」と、食べず嫌いと同じような感覚で行ってみないとわからないのなら行ってみよう、と思い始めているのである。

ニセコは温泉が沢山ある。

今日もどこかで入ってみようと温泉セットを積んできた。施設のいい温泉は日曜となると込んでいるのは否めない。昆布川温泉も然り、である。

近道のつもりで道道に入ったら、工事中で数キロが掘り返されており、それがヘアピンありの山道だったからたまらない。心を鬼にしてブレーキから手を離し、思わず戻したくなるアクセルを必死で握り、なんとかクリアした。(多分停まってしまったら私の腕では二度と発進できないだろう)
昨日今日と倶知安では、夏祭りのようで、昨日はねぶたが担ぎ出されていたが、今日は羊蹄山に花火が上がり、いい一日だ。しかし、昨日一緒にご飯を食べていたXJRの兄ちゃんは、パノラマラインでガードレールに突っ込んで骨を折り、入院したという。彼は上陸日目でなんとも可哀想な次第である。

8月10日(月)すばらしい景観

h2-megunaitake3新見峠から目国内岳に登る。

パーキングで一緒になったライダーと登り始める。
あたり一面ガスに覆われ、半分諦めていたが、頂上に着くと、日差しが眩しいくらいに晴れ渡り、日本海とニセコの山々がはっきりと見え、正に360度のパノラマ。
岩場を登ったのは始めてだったが、山登りが好きな人の気持ちが少し わかった様な気がする。

頂上で写真を撮り合い、住所を交換して、後ほど届いた彼のメッセージには、熊よけの鈴を持たなかった私に対して「熊より人間の方が危険です。知らない男の人と2人で山に入るのは止めましょう!」とあった。・・・。

まだ先の湿原まで行くという彼と別れて、下山するが、何故か登り90分の道のりを下りも90分かかった。

h2-hosokawatakasidouzou真狩では細川たかしの銅像が観光名物になっている。
像の下にある細川たかしの手形に手を合わせると、歌が流れるのだ。もちろん細川たかしのヒット曲だ。観光バスこそ来ないが、結構ぞろぞろと人がやって来る。で、皆、手を当てて行くのだ。なんか子供だましであほくさい。

8月11日(火) 最後の夜

明日のフェリーに乗るので、今日はまた札幌泊りだ。

支笏湖で苔の同門へ寄るつもりだったが、通りすぎてしまい、何よりもガソリンが心もとなかったので、そのままR453を北上する。
例の札幌の知人に連絡をとると、夕方まで身体が空かないというのでR230に入り、定山渓レークラインを通って小樽の街で時間をつぶすことにした。
夕方には札幌にバイクを置き、地下鉄ですすき野まで出て、炭火焼のジンギスカンを食べに連れて行ってもらう。さすがに地元の人の行く所だけあって、肉の柔らかさが半端じゃない。特性のつけダレでいただくので、あっさりして、いくらでも食べれる。

充分にお腹一杯だというのに「ここのラーメンも食べておかないといかん」と一杯引っ掛けると、今度はラーメン屋に連れて行かれる。食い意地が張っているのか、ここでしか食べれないと思うと別腹なのか、しっかり残さず食べきった。

北海道ツーリング 1998年9月~10月へ

 

後記

いま読み返してみると、新鮮ですね~♪
キャンプよりも走りがメインだったこの頃。
とにかくバイクに乗って走るのが楽しくて楽しくてたまらなかったぁ。
このころから少しは歩くようになりました。

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